潮の匂いが深く染みついた手で、ヨナタンは網の破れを繕っていた。指先はすでに冷たさで感覚を失いかけ、まるで他人の手のようだった。七十三年、この港で生きてきた。漁師の息子として生まれ、漁師として老いた。人生の大半は、海の気まぐれと、網の重さと、黙々とした作業の繰り返しでできていた。
昨年の秋、妻が病で逝ってから、彼の中の何かが沈黙した。子供たちは遠い町で家族を築き、便りは年賀状だけになった。海は相変わらず荒れ、漁は振るわず、体の節々は毎朝、彼に抗議の疼きを送ってくる。祈祷会にも行かなくなった。神に祈る言葉が、口の中で砂のように砕けるだけだった。彼はただ、毎日、岸壁に座り、錆びた煙管を咥え、果てしなく灰色に広がる海を見つめた。自分の心も、あの海の色に似ていると思った。冷たく、動きがなく、底に沈殿したものが何か分からないほど深い。
ある嵐の後の朝、彼はいつものように小船を出した。エンジンの調子は悪く、波はまだ荒れた余韻を残していた。沖合いで網を降ろし、待つ。霧が立ち込め、陸が見えなくなった。その時、ふと、子供の頃を思い出した。父親の大きな背中。初めて釣った鯛の輝き。そして、母が口ずさんでいた、だだっ広い会堂で響く賛美歌の調べ。あの歌詞は何だったか。「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主はわたしに耳を傾け、わたしの叫びを聞かれた」
網を引き上げる。重い。期待が一瞬、胸をよぎるが、現れたのはがらくたと、ごく小さな雑魚ばかりだった。彼はその重さに耐えかね、よろめき、濡れた船縁に膝を打ちつけた。鋭い痛み。そして、その痛み以上に、体の芯からわき上がる、言いようのない虚無感。彼はその場にうずくまり、顔を覆った。叫びたいのに、声が出ない。長い間、祈りも、嘆きも忘れてしまっていた。彼の沈黙は、泥の底のように、すべてを飲み込んでいくだけだった。
「主よ…」 声にならない声が、喉の奥で軋んだ。 「もしも、あなたがそこにおられるなら…」
その瞬間、彼は自分の愚かしさを思い知らされた。神など呼べる資格が、自分にあるのか。何十年も、日曜の礼拝を義務のようにこなし、必要な時だけ願い事を並べてきたではないか。彼は目を上げた。霧が少し晴れ、一筋の陽光が厚い雲の隙間から、ざらざらとした海面を照らしていた。光の筋の中を、一羽の海鳥が滑空する。何の苦労もなく、ただ風に乗って。
彼の心に、静かな、しかし確かな言葉が浮かんできた。それは記憶の奥底から湧き上がる、まるで自分自身の声ではないような響きだった。 「主はわたしの足を岩の上に上げ、わたしの歩みを確かにされた。そして、わたしの口に新しい歌、われらの神をほめたたえる歌を授けられた」
新しい歌? この喉から、賛美など出るだろうか。彼は苦笑した。しかし、その「言葉」は留まった。彼はゆっくりと立ち上がり、痛む膝をさすりながら、船のエンジンをかけた。帰路。陸影が近づくにつれ、彼はあることを思いついた。
次の日、彼は小さな行動を起こした。隣家の、やはり独り身の老女、タマエの玄関に、獲れたばかりの、数少ない良い魚を一匹、そっと置いてきた。何年も言葉を交わしていなかった。理由もない。ただ、そうしたかった。次の日は、港の先で遊んでいた子供たちに、昔話を一つ聞かせてやった。子供たちは彼の粗雑な話術に大笑いしたが、彼の話が終わるまで、じっと耳を傾けていた。
少しずつ、変わっていった。彼自身が気づかないうちに。彼は祈祷会に顔を出し始めた。最初は後ろの席で黙っているだけだった。ある晩、牧師が詩篇四十篇を読んだ。 「いけにえや供え物をあなたは望まれない。あなたはわたしの耳を開かれた。わたしは言った、『見よ、わたしはまいります。巻き物の書に、わたしのためにしるされています』」
ヨナタンははっとした。神が求めておられるのは、完璧な儀式や、見せかけの敬虔ではなく、開かれた耳、つまり「聞き従う心」なのか。そして、「まいります」というその姿勢。彼は、自分が魚を届け、話をし、ただ座っていることさえ、すべてが、この「まいります」という、小さな一歩だったかもしれない、と思った。
ある晴れた午後、彼は岸壁でタマエと話していた。彼女は彼の魚のお礼に、自家製の漬物を瓶ごと渡してくれた。会話はぎこちなかったが、彼は彼女の息子が都会で苦労していることを知った。彼は何もアドバイスできなかった。ただ、「大変だな」と呟き、共に海を眺めた。その沈黙は、以前の虚無の沈黙とは違っていた。そこには、分かち合われた何かがあった。
帰り道、ヨナタンは教会の前で足を止めた。扉は開いていた。中に入ると、誰もいない寂しい会堂に、柔らかな午後の光が差し込んでいた。彼は最前列の椅子に腰を下ろした。そして、思い切って、声に出して言ってみた。 「ありがとうございます」
理由は説明できない。漁が良くなったわけでも、寂しさが消えたわけでもない。膝の痛みも相変わらずだ。しかし、確かに、彼の足は「岩の上」にあるような気がした。揺るぎないものの上に。それは富でも成功でもなく、この、変わらぬ慈しみという名の岩の上に。
彼の口からは、立派な賛美歌は出てこなかった。代わりに、幼い頃に母から聞いた、ごく単純な歌を、鼻歌のように、ぶつぶつと呟いてみた。音程は外れ、節回しもめちゃくちゃだった。しかし、彼の胸中には、静かな喜びが広がっていた。それは、嵐の後の海面のように、穏やかで深い。
ヨナタンはもう、かつてのように、劇的な救いを求めなくなった。彼の救いは、泥の中から這い上がる瞬間というよりは、毎日、小さな「まいります」という一歩を、神が共に歩んでくださるという、その確信の中にあった。彼の証しは雄弁な説教ではない。網を繕う手の動き、隣人に差し出す一匹の魚、痛む膝を抱えながらも礼拝堂に足を運ぶその歩みそのもの。彼の人生の巻き物には、華々しい奇跡の物語は記されていない。しかし、そこには、忍耐と、小さな従順と、覚えられていてくれたという感謝が、確かに、静かに、書き記されていくのであった。
外に出ると、西日に照らされた港は、彼が子供の頃から見てきた金色に輝いていた。変わらない風景。しかし、彼の目に映るその光は、もう、冷たい灰色ではなかった。
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